盾と矛が競争しだしたお話 2013/02/16

米ソの愚かな核弾頭増産競争が終息をして久しいですが、長い間相手より強くなろうとすると相手がもっと強くなるという繰り返しでした。自分だけが都合よく相手方を圧倒する事は結局は自滅に向かうという授業料は高かった。他方、いま大国が作った核弾頭3万個を大幅に削減する努力を表明しただけのオバマ大統領がノーベル平和賞を貰ってしまうのも何か腑に落ちない矛盾を感じます。

 

さて、企業経営者向けセミナーでよく使われるフレーズです ダーウィン曰く「決して強いものが生き残れるのではない、変化するものが生き残れるのだ」。生まれもった遺伝子を変える事なく私達が一生の中で変化するのは難しい事です。それを考えると、微・小生物の寿命は数時間から数日ですから変化に関しては私達とは比較にならないほど恵まれています。もっと良い(?)農薬を開発するのが仮に半年として、微・小生物はその間に何万・何億の世代交代をして農薬対応力をつけて行きます。後述するコナガは次の世代が誕生するまで1週間です。半年間で遺伝子を強くする機会が25回もあります。


埼玉県園芸試験場で1981年に農薬の効果を測定する目的で、キャベツを食う厄介者のコナガにある農薬を与えて観測していました。一方、研究活動のため個体を増やす意味でこの農薬を与えない環境も作っていました。驚く事に、農薬を与えた環境の方で個体数が増大したという結果になりました。与えない方は増える事も減る事もなかったそうです。一体何が起きたかと言うと、コモリグモ、コサラグモ、ハエトリグモというコナガの天敵もこの農薬の影響を受けて先ず激減してしまいコナガにとっては天国となった事、更に農薬に強い遺伝子をもつコナガのみが生延び農薬対応力が増してきた事、生存の危機を感じたコナガは産卵数を増らした事によるものでした。この他、コナガは逃げようと思えば数日間掛けて数千キロを飲まず食わずで一気に移動できる能力を持っています。中途半端な農薬では人間に都合のよい結果にならないという皮肉な出来事でした。

 

センチュウという土壌の小生物がいます、虫眼鏡でも認識できないほど小さい虫です。少し家庭菜園の知識がある人なら、あの害虫かと思うでしょう。でもセンチュウを皆殺しにしたら健康な土壌がなくなるし、健康な植物も育ちません。余り研究が進んでいない分野ですが、センチュウは数千種あり、一反(300坪)の土壌から全員集合してもらい体重測定をすると沖縄闘牛の横綱の体重(1トン)に匹敵します。そんなに大勢いる彼等は休む事なく土を耕し穴をあけ水と空気の通り道を作ります。そして排泄物により土壌を植物が気持ちよく根を伸ばせる団粒構造にします。死骸は有機物となり、食物連鎖により豊かな生態系が発展してゆきます。害虫・益虫という区分けは神様が許しませんが、センチュウは自然には掛け替えもない小動物であり、彼等の名誉の為に言いますが決して害虫と呼ばれる筋合いはありません。しかし、人間が農薬を散布し、利潤・効率第一主義でひとつの野菜(例えばキャベツ)を1ヶ所に大量生産し続けるとしたら(こんな事は自然界では不自然ですが)1種類のセンチュウ(キャベツの場合はネグサレセンチュウ)だけが爆発的に発生して翌年のキャベツをダメにします(連作障害)。人間が効率を追い求めて不自然に陥った結果に対する自然界の逆襲です。

 

日本の畑の今日の状況を冒頭の核弾頭の話で例えると、民衆がベルリンの壁を破壊した後の1990年頃でしょうか。もうイランや北朝鮮の挑発に対して核弾頭増産の再開といった愚行は見えません。日本の農業全体もここ40年間でどん底まで来て、これ以上は悪くなれないと楽観視しますが、底辺から抜け出して神様や生物界が喜んでくれる自然まで戻るにはきっとその倍ほどの年数が必要になるでしょう。日本の農業全体を憂うのは私にとって大袈裟な課題であり、まして虫達からノーベル平和賞を期待する魂胆はありませんが、心ある人々とは自然観を少しでも共有できればと思っています。野菜は工業製品とは異なり自然界の一員ですし私達の体の一部になります、有り難き恵みとしてその自然環境を含めて大切に思いたいものです。